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桜の庭<5> 

「それも貴方がだらしないからでしょう! 少しは兄らしいことをしたらどうなの?」
「兄らしいというと、会社の発展のために愛の無い婚姻をしろということですか?」
結局のところ、手駒に使うために呼び戻されただけだ。さすがに家族には何も期待しないと考えていた私も呆れてしまった。
しかも……。
「あら?」
私の言葉に鼻じろんで、視線を下に落とした母が声を上げる。
「あの男、まだいるのね? お金を与えて追い払いなさいって云った筈よ」
絢瀬の靴は私が履くには大きすぎるし、庭仕事に出るため汚れたスニーカーだ。
見下したような言い草に、私はカッとなった。
「貴女がそれを云うんですか? 絢瀬の足を駄目にしたのは、貴女でしょう!」
絢瀬が会社を辞める原因には、母が大きく関係している。なおも言い募ろうとする母に、私は冷たく云い放った。
「帰ってください。ここは私の家です。二度と来ないでください」
「旦那、いけません。それ以上は……」
絢瀬が私の腕を引いたことで、私は我に返る。
「会長。旦那も興奮してます。今日はお帰りになった方が……」
絢瀬の言葉を全部聞かず、母はぴしゃりと引き戸を閉じた。
母の姿が目の前から消えて、私はやっと大きく息を吐く。母に逆らったことなど、少年時代以来だ。のらりくらりと逃げはするが、正面切って反論したことなど無かった。
「旦那、いくら仲が悪くても、旦那のお母さんでしょう」
絢瀬が咎めるように私を見る。さすがにあれ以上言い争っていたならば、私はおそらく取り返しの利かない一言を云っていた筈だろう。
『貴女の顔など二度と見たくない』
「絢瀬。お前は優しすぎる」
深い溜息と共に吐き出した言葉に、絢瀬が答えることは無かった。ただ、黙って困ったように笑うだけ。
あの日も絢瀬はそんな笑みを浮かべていた。


「どういうことだ? 要!」
資料室のドアが音を立てて乱暴に開かれる。
「一体何故、海原商会との縁談を勝手に断ったりしたの?」
入ってきたのは、祖父と母だ。
幾度か持ち込まれる縁談を、私はもてあまし気味だった。今回などはきちんとお断りした方だ。相手の方と幾度か会った上で、どうしても『愛せない』と思ったから断ったのだから。
「勝手に、ではありません。相手の方も納得された上です」
「当人同士の問題じゃないのよ!」
ヒステリックな声を上げた母を、資料を抱えたままの絢瀬が目を丸くして見つめている。
物静かな男を育てたという年の離れた姉は、きっとこんな声を上げるような人では無かっただろう。絢瀬を見ていれば判る。
「結婚するのは私です」
淡々と答える私に、祖父が哀れむような視線を投げた。おそらく馬鹿な孫に呆れているのだろう。
「貴方がこの縁談を断ったことで、わが社は発展する機会を一つなくしたのよ! 解っているの?」
「解っていますよ。私が貴女の息子ではなくて、手駒の一つだと云うことも」
母が手を振り上げるが、それを私は避けた。
わざわざひっぱたかれるのを待っているほど、聖人になどなれないし、なる気も無い。
だが、これがいけなかった。
カッとなった母は、そこらのものを手当たり次第に私に投げつけたのだ。
積まれていた重い資料がそこらに散らばり、母を止めようと足を踏み出した祖父がそれに足を取られる。
そこからはまるでスローモーションのように、私の目に今でも焼きついている。
祖父が資料棚に捕まり、その上にバランスの崩れていた資料棚が倒れ、母が悲鳴を上げた。
ものすごい地響きのような音をたて、資料棚が乗っていた資料ごと倒れる。
私が気付いた時には、祖父と母を庇うように、絢瀬が下敷きになっていた。
見る見るうちに、紅い液体が流れ出し、音に駆けつけてきた社員が悲鳴を上げる。
じっと動かない絢瀬。けたたましい程のサイレンの音。
目の前で起こった出来事は、まるで悪夢のように私の周りを回っていた。

親族の無い絢瀬に付き添ったのは、東河だ。
東河にはとっくに私と母との確執はばれていたし、絢瀬の怪我の事情を察するのは、さほど難しいことではなかっただろう。
怪我の治りは早かったが、後遺症が残った。足首の粉砕骨折を負った絢瀬には、満員電車での通勤は不可能だ。
絢瀬は会社を辞め、私の家に来た。
母は強行に絢瀬を私から離すことを主張したが、祖父は諦めたように『好きにしろ』と伝えてきた。
数年前のことだ。
ただ、現在はその祖父も亡くなっているし、遺産の前渡とされたこの家以外は財産も放棄しているから、母が強行手段に出て、会社をクビになったら、明日からの日々の生活に困ることにはなるだろう。
そう考えると、母と決定的な決裂を迎えることは好ましくない。
「旦那。飯、途中です」
久しぶりに怒りの感情を覚えた所為か、息が上がっていた。それが落ち着くのを待って、絢瀬から声が掛かる。
その声に、私は気持ちがすっと平静になるのを感じた。
「すっかり冷めてしまったな」
「味噌汁だけ温めますか?」
「そうだな」
手早く味噌汁を温めた絢瀬が、私の前に椀を置く。
「旦那。会長は会長なりに旦那の事を気に掛けていると思いますよ」
おずおずとではあるが、確信を持った言葉に私は恥じ入った。絢瀬が止めてくれた時に私が感じたのは、打算だった。だが、絢瀬は本当に私と母の気持ちを大事に思ってくれているのだ。
「花見。何を作りましょうか?」
ぼそりと絢瀬が呟く。
「肉はいるでしょうね。若い子だし」
「佐倉くんに聞いてみようか」
「そうしてください」
つまらないことを云ったとばかりに絢瀬が話題を変えるが、私の良いようにと心を配ってくれるその気持ちに、私は改めて感謝を覚えた。
佐倉くんが私の心を照らす光なら、絢瀬はずっと寄り添ってくれる影のようなものだ。
ふと庭の桜を見やる。その向こうに灯る明かりを見ていると、あの人と共に亡くなった感情が沸き起こる気がする。
唯一、私の感情を揺り動かした人の孫と出会えた奇跡は、私に何をもたらすのだろうか。
淡い初恋のときとは違う、浮き立つ気持ちに、私は戸惑いと高揚を同時に感じた。

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