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桜の庭<8> 

「美味い! 絢瀬、こんな奴のところ辞めて、うちへ来いよ」
「東河……」
茶漬けを掻き込みながらの東河の台詞に、絢瀬が眉を寄せる。
たくわんを刻んだものと葉唐辛子の茶漬けは、確かに美味い。だが、それだけで家へ来い等と云うだろうか?
「何だよ。お前、あの子と上手く行ったんじゃないのか? だったら。邪魔者はいないほうがいいだろ?」
いかにも気を利かせると云わんばかりの東河に、私は微妙な気分だ。しかも。
「何で、そんなことが解るんだ?」
「お前は初恋の小学生かっての。態度に出過ぎだ」
浮かれていた自覚はあるが、そんなに分かり易かったとは……。
「まぁ、いい傾向だと思うぞ。何かに心が動くってことは」
家族にも省みられず、私は感情を何処かに忘れていた。いや、忘れたフリをしていたのだ。そうすれば、傷つかずに済む。
絢瀬のそばが心地良いのは、絢瀬は誰も傷つけたりしないからだ。
柔らかな態度、柔らかな心。
「まだ、早い」
顔に不満が表れていたらしい。東河がじろりと睨む。
「旦那。飯、食ってください」
箸がとまっているのを指摘され、私は、食事を再開した。せっかくの絢瀬の朝食を残すのは、確かにもったいない。
舌の上で転がる味は、心地の良い柔らかさだった。


「後月さん!」
溌剌とした声が掛かる。帰宅途中の本屋の前だ。
「やぁ、佐倉くん」
「今日は?」
店へと誘う佐倉くんに私は首を振った。今日はまとめなければならない資料があって、残念ながら本を読む時間は無い。
「持ち帰り仕事があってね」
「そうですか」
残念そうにうな垂れる佐倉くんが可愛かった。私が大事に思っている時間を、彼もまた大事にしてくれているのだと分かる。
「私も残念だ。夕飯は一緒にしないか?」
「え? いいんですか?」
ぱっと顔を上げた佐倉くんは、期待に満ちた目をしていた。
「もちろん。帰ったらすぐに来るといい」
「はい。お仕事頑張ってください!」
手を振る佐倉くんに、身体の前でだけ、小さく手を振った。ちょっと恥ずかしいくて、私は足早に家路に付いた。
「おかえりなさい、旦那」
引き戸を開くと、絢瀬が顔を出してきた。
「すまん、絢瀬。持ち帰った資料を纏めたいから、食事はそれからにしてくれ。それと、今日、佐倉くんを夕飯に誘ってしまったんだが」
「肉団子の予定だったんですが、ハンバーグに変えますか?」
絢瀬が考え込むようにあごに手を置いた。
「いや、そのままでいいだろう。和食も好きだと云っていたし」
私はそのまま、和室で着替えると、机の前に資料を広げた。以前はそのまま残業していたのだが、今日は妙に家が恋しく、持ち帰ってしまったのだ。
しばらく読みふけり、パソコンに打ち込んでいると、台所との仕切りの襖が開く。
「旦那。何か手伝いますか?」
「ああ。……いや、いい」
資料に没頭していた所為もあって、私はついここがオフィスであるかのような勘違いをしていたらしい。つい、申し出た絢瀬に資料の打ち込みだけは任せようかと思ってしまった。
だが、今の絢瀬は会社には関係の無い部外者だ。まさか見せるわけにはいかない。
「そうですか。じゃあ、珈琲を入れましょう」
絢瀬が微笑んだ。いつもの穏やかな、だが、儚げな笑み。
「あ、ああ」
私はそれに何処か不自然さを感じながらも、私はつい目の前の仕事に追われてしまった。ここで失敗するわけにはいかないのだ。母が持ってくる資料は、最近、度を越している。おそらくは嫌味で廻してくるのだろう。
絢瀬の入れてくれた、香り高い珈琲を飲みながら、私はひたすら資料を打ち込んだ。

数時間は過ぎただろうか。やっとの思いでまとまった資料とCD-ROMを、ビジネスバッグに突っ込む。
肩をまわすと、すっかりと固まっているらしく、ぼきぼきと音を立てた。
「もう、年だな」
笑いがこみ上げて来る。台所のふすまを開けると、絢瀬の姿は無かった。
食卓は温めるだけの状態になっているから、佐倉くんが来るのを待っているだけだろう。
腹がなった。行儀悪いとは思ったが、鍋の中の肉だんごをひとつ、口の中へと放り込む。甘酢が効いていて、たまねぎの甘さが沁みる。
絢瀬は何処だろうと足を書庫へと向けた。
書庫の上の中二階にあたる場所が、絢瀬の部屋だ。
階段を登り、愕然とした。
絢瀬の部屋は、衣装ケースと布団と、ちょっとした私物が乱雑に置かれていた。
家や庭の掃除をしてくれているのは絢瀬なのに、この部屋にはそういった気遣いが一切感じられなった。
そういう絢瀬の一面がにじみ出た、いかにも男らしい部屋。
それが、今日は綺麗に片付いている。
敷かれたカーペットの上にあるのは、布団と小さな段ボール箱が二つ。
部屋の中に散乱していたものは何も無かった。読み掛けの園芸雑誌も、昨日着た服も、洗濯を終えた下着も。料理本も。きちんと仕舞われ、ダンボールの上に目覚まし時計が乗っている。
「だ、旦那?」
掛けられた声に私は振り向いた。
風呂にでも入ってきたのだろうか。絢瀬の短い髪が濡れていた。
首に掛けたタオルを握りしめた手が、白く震えている。
私はその腕を乱暴に取った。
「一体、どういうことだ?」
「旦那には、近いうちにお話しようかと……」
近いうち? 何が近いうちだ。この部屋はもう決定事項じゃないか。
「こちらを、出…、」
「何も云うな!」
続きは聞きたくない。首を振る私を、絢瀬は辛そうな眼差しで見つめていた。

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