スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
*Edit TB(-) | CO(-) 


酒と煙草と英国紳士<6> 

安アパートの鉄製の階段の途中で、降りてくる男とすれ違った。大柄な身体にきちんと着こなしたスーツ。それを見た瞬間、津行は声を上げていた。
「創玄さん?」
顔を上げたのは紛れもなく早川だ。だが、津行としっかりと目が合ったにも関わらず、早川は無言でそのまま身体を交わし、階段を下りていく。その早川の肩を掴んで引き止めた。
「上がっていけよ」
「いや、都合も考えずに来たのは僕の勝手だ」
言い放って背を向ける早川を津行はもう一度振り向かせる。
「俺に逢いに来てくれたんだろう?」
「いや」
即座に返答が帰ってきたが、早川の視線が泳いでいる。
「逢いに来たって言ってくれ」
もう一度肩を掴んだまま言葉を掛けると、早川がやっと津行の方を向いた。
「そんなことを言うと、図に乗るぞ」
「乗ってくれ。待ってた」
津行が早川へ笑い掛けると、ひたすら帰りを急いでいた筈の早川の足が止まる。それをいいことに津行が早川の腕を引いた。
「飯は? 俺、食ってきちまったんだが」
「まだだ。良かったら、付き合ってくれないか」
思った通りの答えに津行は背後に回って、早川を階段の上へと押し上げる。
「とりあえず上がれよ。飯はその後だ」
早川の行くような店に、津行が付き合える筈も無かった。第一、作業着姿の津行を一体どんな店に連れて行くつもりか。考えると頭が痛い。だが、ここで付き合えないと言えば、早川は帰ってしまうだろう。
「お邪魔するよ」
促されるままに、早川は津行の部屋に上がりこんだ。
「座っててくれ。汗流してくる」
早川に有無を言わさずに、津行は風呂の扉を閉める。毎日のように津行を訪ねてくるのは、少しは津行のことが気に掛かっているからだろう。気に入ったのが津行の身体か、それとも部屋で過ごす時間かは判らない。それでも早川が訪ねてくれば心が弾む。
「若い男でも無ぇのにな」
恋に浮かれていることはもはや隠しようも無い。いい年をしてと笑うことは簡単だが、気持ちに嘘はつけないことを津行ははっきりと自覚していた。
「おい、創玄さん。茶漬けでもいいか」
「構わないが。疲れているんだろう、僕の為に手間を掛けさせるのは」
「何、大した手間でも無ぇよ。いいから、座ってな」
住む世界の違う男と過ごせるのは、この部屋の中だけ。だからこそ、この部屋から早川を出したくない。
「ほらよ」
差し出したのは、紫蘇と梅を刻んだものに熱い出汁を掛けた茶漬けと、冷蔵庫にあった漬物と目玉焼きという何ともアンバランスな食事だった。
「美味そうだな」
「有り合わせだ。口に合わなかったら残していい」
ストレートな褒め言葉に、津行は照れてそっぽを向く。
「何度も言うが、君の料理が口に合わなかったことは無いよ。君の料理はすごく美味い。母が生きてた頃の味だ」
「あんたの母親なら、いいところのお嬢さんだろ。んな訳あるか」
この英国紳士然とした男の母親ならば、さぞ美しい上品な女性だろう。
「いや、母は下町育ちだ。文学少女とでも言うのかな。貧乏な癖に、古本屋で山ほど本を買い込むような女性だったそうで、母の部屋には黄ばんだ本が山ほどあったな」
「あんたはいいところの坊ちゃんだと思ってたよ」
「父が借金を抱えて死ぬまでだな。家屋敷は抵当に入っていたし、祖父の残した財産もほとんど持っていかれた。祖父の持っていたあの店だけが残されたものだ」
苦い笑いが刻まれた口元に、津行はしまったと思ったが、口に出した言葉が戻る筈も無かった。苦労など知らない、育ちのいい男だと思い込んでいた自分の浅はかさに呆れる。
「すまねぇ」
「いや。もう過ぎたことだ。あくせくせずに食べていけるくらいのものと店は手元に残ったし、騙されないように執事が目を光らせてくれた。感謝しているよ」
薄っすらと笑みを浮かべた早川が津行に視線を流す。
「この部屋も、母が暮らしていたのはこんな部屋だったのかと、懐かしく感じる。不思議なものだ」
「いくら何でもここまで酷くねぇと思うぞ」
女性の部屋ならば、貧乏暮らしと言ってもそこそこ飾りっけはあるだろう。真っ直ぐに津行を見つめる早川の視線から逃れるように、津行は立ち上がった。
「呑むか?」
「ああ。いいな」
手にした一升瓶を掲げた津行に早川がうなづく。差し出された安っぽいコップを受け取り、互いに酒を注ぎあった。
「そういえば、君は一体何処で働いているんだ?」
「駅向こうに、新しい駅ビルが出来るだろう。そこの現場だ」
以前から気になっていたのだ。早川は津行のことを名前以外何も知らない。
「いや、現場でどんな仕事をしているんだ?」
「土方って、あんた判るか?」
いくら早川が疎くてもそのくらいは判る。建築でも基礎部分を請け負う連中のことだ。当然屋根など無い、外仕事だ。日に焼けた浅黒い肌はだからだろう。
「夏は暑いんじゃないか?」
「まぁな。冬は寒いし。でも慣れたもんだ。一番辛いのは梅雨の時期だ。日当が入らなきゃ干上がるしかねぇ」
「そうか。日当制なんだな」
給料が保障された仕事ばかりではない。きちんとした職に就くには、最低限の学歴は必要だし、それを得るのにはある程度の金も必要だ。幸い、早川は大学を出ることが出来たが高卒や中卒で働かねばならない人間たちも多いのだ。
「あんたの執事とやらは、まだ働いてんのか」
「ああ。夕方からの店を切り回してもらっている。その後に最上階のホールで朝まで踊っているよ。老人の癖に僕よりも元気だな」
「あそこのじーさん、ばーさんたちはホントに殺しても死なねぇくらいの連中ばっかだな」
ワンダーランドの最上階はダンスホールだが、飲食物を出さないために、近所の老人たちが茶菓子を持って集まる寄り合い所と化している。
二人して笑いあいながら、他愛の無い会話を交わし、酒を酌み交わす。早川も津行もお互いが近づいたように感じていた。
ふと、早川の声が止まった。
痛い程に視線を感じて津行はひたすら煙草をふかす。狭い部屋に安煙草の匂いが充満していた。
向かい合っていた早川の体温が隣へと移ってくる。早川の腕が津行の腰を抱き寄せた。唇が重なる。
「待ってくれ、準備してねぇ」
早川に逃げられるような気がして、急いで汗を流して食事を用意した為に、そこまでの時間は無かったのだ。
「布団は何処だ?」
名残惜しげに離された唇から、今日も抱くつもりでいることを告げられ、今更ながらの羞恥に津行の頬が染まる。
「押入れに決まってんだろ」
照れ隠しに吐き捨てるように言い放ち、津行は立ち上がった。

NEXT

FC2 Blog Ranking
完結小説一覧

スポンサーサイト
*Edit TB(-) | CO(-) 


Back      Next

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。