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メガネの向こう<2> 

「総務部……ですか?」
「そうだ。庶務課は課長と主任が二人とも来年には定年になる。後は女性ばかりになってしまうんだ。主任は定年後も再雇用されるが、当然、残業はNGだ。そこで、おまえら二人を欲しいと云ってきた。不満か?」
じろりと見上げる宮川の前で、杏と康利は直立不動だ。
「いえ」
「地味だし、評価されないことも多いが、社員が気持ちよく健康に仕事をするのには必要な部署だ。がんばってくれ」
いつも、厳しい宮川の、らしくない微笑みに、二人は何だか圧倒されてしまう。
配属通知を受け取り、揃って人事課を後にした。


とにかく、細かい仕事が多い。
しかも、意外と力仕事が多いのだ。
これは確かに定年を迎える男二人と女性社員には手に余るだろうと、康利は素直に思った。
「社則は覚えた?」
遠藤主任は小柄なおだやかな感じのいい人だ。
「耳からこぼれそうです」
杏は正直に本音を吐く。社則は給与規定も合わせて、五十ページに渡る代物だ。入社二月で覚えられるわけが無い。
「大元は何とか」
君は?と云う風に視線を流されたので、康利も答えた。
大元さえ覚えてしまえば、細かいことはその都度調べておけばいい。
「覚えも早いから助かるよ。後で、健康診断の申請書の書き方教えるから、よろしく」
「申請書?」
思わず、二人でハモってしまった。
「これだけの会社だと、一日来てもらうんだよ。それを社会保険協会に申請する。人数は何人なのか。年齢によって検査の内容も違うから」
「はい」
うなずくのと同時に、ドアが乱暴に開いく。
その開き方以前に、近づいてくるドタ足の歩き方で、それが誰かと云うのは、庶務課の誰もが判っていた。
「おい、メガネ。二階のトイレにペーパーが入って無かったぞ。それと、渥美部長が雑費の申請をしたいそうだ。行って来い」
「はい。小早川課長」
庶務課にメガネは実は5人もいる。その為、メガネと呼ばれて返事をするのは杏のみだ。
課長の小早川は、先代社長の弟に当たる。
先代がまだ生きていた頃に、仕方なく適当な部署のポストに付けた。来年定年になるのを、実際は皆が待ち構えているが、本人は未練がましく、重役の座を狙っている。
「課長。申請書は規定の通りに提出してもらわなければ困ります」
お堅そうなひっつめ髪に、オーソドックスなメタルフレームのロイドメガネの日下が、厳しい口調で云うが、小早川はふんと鼻を鳴らしただけだ。
申請書は書いた翌日に、総務部に廻ってくることになっている。出張の交通費でもあるまいし、雑費の申請など、急ぎの用事では無い筈だ。
「日下さん」
遠藤主任は日下の肩に手を置いて制する。あと一年したら、出て行く人間だ。何もことを荒立てる必要は無い。
「葛西くんはペーパー入れてきて。あと、笠置くん、渥美部長のところに行って来てくれないか」
「はい」
二人がそろって返事をして、出て行こうとするのに、小早川が声を荒げる。
「おい、俺はそっちの丸メガネに行ってこいって云ったんだ!」
「そうですか? でも、課長はメガネとしかおっしゃいませんでしたので」
遠藤が適当にのらりくらりとかわしている間に、二人は聞こえない振りで部屋を出て行った。
大体が、小早川が杏を渥美のところへ行かせたいのに、裏があることなど、庶務課の誰もが知っていた。



「渥美部長。庶務課です」
顔を覗かせた康利に、スキモノと評判の営業部長の顔がおもむろにがっかりとしたものになった。
おそらくは、杏が来ることを予想していたからなのだろう。
「雑費の申請があると伺いました」
とりあえず、とっとと用事を済ませて帰ろうと、康利が切り出す。
渥美営業部長は、スキモノではあるが、かなりの切れ者でもあった。もっとも、そうでも無ければ、ただのセクハラオヤジに部長など務まる筈も無い。
「ああ。そこに置いてある。わざわざ、済まなかった。持って行ってくれ」
渥美は興味無さげに、パソコンへと向かった。康利はサイドボードの上に置かれた申請書に手を伸ばす。
その康利の尻に、確かに手が当たった。
康利はぎくりとして振り返るが、渥美はひたすらパソコンに向かって何かを打ち込んでいる。
――――この、クソオヤジぃ……。
思わず、振り上げそうになるこぶしを堪え、何でも無い振りを装って、康利はドアを開けた。
「失礼しました」
「ああ。君も中々可愛いな」
しれっと云われて、こめかみがひくつく。だが、怒りを向けようにも、証拠が無いのだ。一応上司でもあることだし、こっちの方の分が悪い。
杏を寄越さなくて本当に良かった。ああ云う方面でも、切れ者らしい渥美に、杏のようなぼーっとした奴は、あっと云う間に抵抗できなくされるに決まっている。
「笠置。ちょうど、良かった。手を貸してくれ」
カリカリして歩いていた康利を呼び止めたのは、人事課長の宮川だ。
「はい」
康利はぶすっとしたまま、振り返る。
「何だ? 今日はえらくご機嫌斜めだな。もっとも、小早川さんの下じゃ、お前みたいなタイプは苦労するだろうがな」
「判ってるなら、聞かないでくださいませんか」
にやにやと人の悪い笑顔を浮かべて、嫌味を並べ立てる宮川だが、やたらと色っぽい感じがする。
ふと康利は、この綺麗な男なら、セクハラ部長に迫られたりしたことがあるのでは無いかと、思い立った。
「手を貸すのは構いませんが、その代わり、質問に答えてください」
「ああ。構わん。おい、笠置を借りてきたぞ」
人事課にいる数人の女子社員が、歓迎の悲鳴を上げる。
「助かった~~」
「笠置、こっち持って」
男性社員は、容赦なく康利を使う気らしい。いきなり、机を抱えさせられた。
云われる通りに、あっちこっちへ机を移動して、パーテーションもそれに沿って移動させる。
一区切りついたところで、後は自分たちでやるからと、康利は奥に移動した課長の机の前に座らされた。
「ありがとう。笠置。助かった」
「今の時期に模様替えなんですか?」
「いや、数名の社員から、人事課は相談窓口が丸見えだと云われたんだ。確かに、人事に属する以上、相談事などは極秘だとは判っている筈なんだが、それでも人目は気になるものだ。それで、相談窓口とそれに至る通路を区切って見た。ついでに、夏に向けての冷房対策で、女子社員の机を冷房が直接当たらない場所にしたんだ」
「ああ。それで」
机を移動してしまえば、康利の手は借りないと云うのも、人事課以外の人間に、書類やパソコンは触らせないという、人事課の鉄則を守っているのだろう。
「それで、質問は何だ?」
手渡されたコーヒーを受け取りながら(人事課では、課長が自らコーヒーを入れてくれた)、康利はどう話そうか逡巡した。考え込むときの癖で、神経質にメガネを直す。
「渥美部長なんですが……」
それでも話さない訳には行かない。
「尻でも触られたか?」
あっさりと言い当てられて、康利は思わず口に含んだコーヒーを吹き出しそうになった。
「いつも、ああ、なんですか?」
「まぁ、俺も以前にやられた。あれは、セクハラと云うより、いたずらの類だよ。反応を楽しんでるんだ。大げさに騒いでやればいいのさ。自分の立場とか考えて迷っていると、ホントに犯られちまうぞ。そういう隙は逃さない人だからな」
「ええ~~?」
康利は、ますます気が重くなる。そんな奴に、杏を近づけさせるものか。小早川が、渥美に杏を差し出すつもりで算段しているらしいのは、庶務課の内部では確定の事実だった。
「営業部の新人には云っておいたんだがな。そっちに手を出すとは盲点だった。葛西にも伝えておけよ」
「はい」
うなずいた康利だが、杏に伝えるつもり等、まったく無い。小早川がどんな手を使ってこようが、杏は自分が守りきるつもりでいた。


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